KG FIGHTERS 第55回ライスボウル初優勝 2002年1月3日
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コーTコラム(攻撃)
THE QUARTER 〜衝撃の10分間〜/小野 宏

徳永さんの話

  最後に、昨年7月に亡くなった徳永義雄OBのことを記しておきたい。徳永さんは1949 年(昭和24年)に関学が初めて甲子園ボウルに出場し、初優勝した時のメンバーの一人で ある。1966、1967年に監督をされた後も、ずっとチームを側面から支援してきていただい た。コーチを家族で食事に招待して労をねぎらってくれたり、裏方の現役マネージャーの 激励会を開いたりしてくれた。負けていた時も批判がましいことはいっさい口にせず、い つも柔和な笑顔で見守ってくれていた。
 その徳永さんから、1999年の甲子園ボウルの前に手紙をもらった。中には、三つの短冊 に達筆で格言が記されていた。そのうちの一つは「九仞の功を一簣(き)に虧(か)く」 で、選手に説明して部室に掲げておいた。しかし、残りの二つはあまりピンとこないで自 室の棚の上に包装して立てかけていた。そのまま忘れて、徳永さんが亡くなった事で取り 出してもう一度見直した。その時も書かれていることが大げさのような気がして頭に残ら なかった。それが、ライスボウルの前にふと気になって読み返して、心を揺さぶられた。
 一つは、史記李斯伝にある「断じて行えば鬼神も之(これ)を避く」。「決心して断行す れば、それをさまたげる障害はない」と広辞苑に意味が記されている。手紙の中には、徳 永さんの先輩・親友でチームドクターを務めていただいている杉本公允先生からの手紙の 一部を引用したものだと付け加えられていた。もう一つは、「思うて一(いつ)なれば敵な し」。――西郷隆盛が、「何事かしようと思うとき、どう心掛ければよいか」と若い者に問 われた答えとして、「そいは、思ウテ一(イツ)ナレバ敵ナシ、ちゅう事(こつ)がごわす が、そいで遣(や)んなさればよか」と言ったそうです。ひとたび、ねらいを定めたら、 全く他をふりかえろうとせず、ひたむきに全存在を挙げて、怖れず確信して前進すること だと言うのです。――手紙にはそう説明があった。社会人王者に勝つと目標を掲げてきた ものの、戦略もプランもまとまらず、実力差から考えて大敗するのではないかという不安 に苛まれている時に、初めて二つの格言が迫ってきた。そして、亡くなってなおコーチを こうして励ましてくれるのかと思って言葉もなかった。我々は支えられている、と胸が熱 くなった。
 年末の練習に、杉本先生が開業医でありながら連日顔を見せてくれていた。徳永さんの 死と無縁ではなかっただろう。先生の提案で今年からワクチン注射を11月に全員が受け、 例年と比べて風邪(インフルエンザ)で練習を休むものがほとんど出なかった。そのこと も今年の重要な成功の一つだった。手紙の話をすると、「徳さんは、今分からなくてもいつ か分かることがある、とよく言っていた」としみじみと話していた。それを聞いて、まさ か、とは思いつつ、ひょっとしてこういう状況が来ることまで予測して送ってくれたので はないか、とギョッとした。選手たちにも二つの格言を伝えたくて、練習後のハドルで話 し始めが、想いがこみ上げてきて言葉にならなくなってしまった。




 ライスボウルは、ファイターズに関わるすべての人の力を結集した、本当の「総力戦」 だった。勝利が決まり、3階のスポッター席からエレベーターで降り、薄暗く狭い通路か らフィールドに出ようとした。その瞬間、ライトの逆光の中に杉本先生が現れ、顔をくし ゃくしゃにして手をいっぱいに広げた。抑えていた感情が、堰を切った。

<おわり>


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